A person to worry about


(……貴ちゃんも、つくづく大変なところに嫁いだわよね)


2月15日、涅槃会当日、貴子の母、恵子は思った。


貴子はただいま妊娠7ヶ月。

涅槃会に来る檀家さんたちをもてなすには負担が大きいからと、

早朝から鈴渕寺に来て手伝いをしてた。


することは、本堂から少し離れた別棟の広間の座敷での、お茶の用意と片付けが主。


鈴渕寺の涅槃会は午前10時から始まり、それから休憩を挟んで約1時間、

11時過ぎに終わる。

本堂で涅槃絵図が掲げられ、それを前に読経、説法をする。


恵子たちは、本堂で読経、説法の合間や終わった後にやってくる檀家さんたちに、

お茶と花団子を出す。


読経、説法の間は閑散とした広間も、それが終われば4−50人ほどの檀家さんたちが押し寄せる。


恵子は目が回りそうだった。


その中で、鈴渕寺住職の栄弘の妻、貴子の姑でもある芳江は、さすがに落ち着いたものだった。

檀家さんたちと顔を見合すたびに、二言三言挨拶を交わす。

中にはその場で話し込む檀家さんもいるけれど、嫌な顔ひとつもせず耳を傾けていた。


(……貴ちゃんも、いずれはあの立場になるのよね)


恵子は貴子が、正稔を家に連れてきた日をふと思い出した。


剃髪にスーツで現れた彼のぱっと見の印象は、あまり良くなかった。

顔の造作は整っているものの、切れ長の鋭利な目は人に威圧感を与える。

しかし話をしてみると、好感が持てた。

何よりも貴子を大事にしている様子が満面に現れていた。

貴子も正稔が好きという感情を表に出していたので、微笑ましく思った。


その後まもなく、貴子が身重であることが分かった。

そしてすぐに籍を入れたのだが。



正稔さんが僧侶ということもあり、それなりに苦労するのではないのかと思っていた。

案の定、いや想像以上に住職の妻は大変だ。


恵子は人知れずふうとため息をついた。




そうこうしているうちに涅槃会が終わる。


広間に檀家さんたちの姿が見えなくなったのが12時前くらい、

そこから片付けを始め、終える頃には時計の針は午後1時を過ぎていた。


「今日は助かりました、ありがとうございます」


芳江が頭を下げるのを恵子は「いえいえ」とかぶりを振った。


「お昼、召し上がっていってくださいね、お寿司を頼んでいるのでもうすぐ来ると思いますよ」

「はい、ありがとうございます」


まもなく広間に注文していたお寿司が届いた。


「お義母さん、正ちゃんたちを呼んできますね」

貴子はそう言うと本堂へ向かった。


本堂は別棟といえど離れている訳ではなく近接している。

すぐにでも、貴子が正稔たちと共に戻って来ると思った。

しかし10分過ぎてもなかなか来ない。


「変ね?」


さすがに芳江も遅いと感じた。

恵子と二人一緒に本堂へ向かう。


本堂を覗くとそこにはすでに人気がなくもぬけのから。


「これは、家の方かも」


本堂の裏に普段の生活をする家があった。

二人は今度はそこへ向かう。


家の扉を開けると、住職、正稔、貴子の履物が並んで置かれていた。


(やっぱりここに居るわね)

恵子たちは、そう確信した。

しかし家は人がいる割りにはしんと静まっていた。


恵子は嫌な胸騒ぎがした。

貴子は妊婦、安定期とはいえ通常の体ではない。

何かあったのでは?


ずんずん先を歩く芳江の後を、逸る気持ちを抑え黙って付いていく。


ふと中ほどにある階段に近づくと、上からすすり泣く声がしてきた。

声は男女両方。


恵子は益々うろたえた。


「ど、どうしましょう」

「とにかく落ち着いてください、声がしたのは正稔さんの部屋辺りかしら?」


二人は階段を上がる。

動転している恵子をなだめながら、芳江は声のする問題の部屋、

正稔の部屋のドアを開けた。



6畳の部屋の中、初めに目に飛び込んだのは男二人と女一人がコタツに座っている姿。

3人は思い思いに、扉と反対側に置かれている大画面のスクリーンをくいいるように見ている。


「お母さん?」


貴子が気付き恵子たちの方に顔を向けた。

貴子の両目は真っ赤に充血している。

つと流れでる涙を手で拭った。


貴子の声につられ男二人、正稔とその父、栄弘も恵子たちの方へ振り返る。

二人の目も泣き腫らして真っ赤だった。

貴子と同じように、目や頬に伝う涙を拭う。


そしてどうしたのだとばかりに二人を見ながら、不思議そうに首を捻った。


「どうしたもなにも、お寿司が来ているから呼びにきたんですよ、あなたたちこそ一体何を?」


芳江が眉を上げ睨みながら言う。

その声に一斉に3人は項垂れた。


「そういえば貴子さんが言っていたな、すまない、つい夢中になってた」と、栄弘。

「ぼくこそ、すみません、

取り溜めしていた連ドラ、見たら止まらなくなってしまって、

もう、とてもかわいそうで、かわいそうで」と、正稔。

「ごめんなさい、わたしもつい見入ってました……」と貴子。


「……とにかくヒロインがけなげなんだ、主人公に見返りのない愛を捧げ続ける姿がね……、

あ、一時停止だ、正稔」

「あ、そうですね……、よし、止まった。

今期のドラマで一番ベストですよね、お父さんも貴ちゃんもそう思うだろう?」

「ええ、もう、涙が止まりません、せつないドラマですよね……」


それぞれに感動シーンを思い出したのか、再び3人は涙ぐむ。



「あなたたちね!」


芳江が怒張し声を張り上げる。

傍らにいた恵子が「どうか落ち着いて」と、今度は逆に芳江をなだめにかかった。


「いいえ、これが、落ち着いていられますか!」


怒りの表情を露に、芳江は3人を指差しながら言い放った。


「DVDを見てたんですよ、これが怒らずにいられます?」



なぜ、わたしを誘わないの? わたしも混ぜなさい!



恵子はその言葉を聞いた途端、全身の力が抜けていくのを感じた。


(怒るところは、そこなのですか……)




いつの間にやら3人に混じり、芳江もドラマ談義を始めている。

話の勢いはしばらく止まりそうもない。

スクリーンもまた再生していてドラマの続きが流れていた。


(あの、お腹空ぺこぺこです……、お寿司のこと忘れていませんか?)


ドラマを熱い目で見ながら語る遠藤一家+貴子。

それを横目に見ながら、

あらためて(とんでもないところに娘が嫁いでしまった)と、

恵子は深いため息をした。




朱に交われば赤くなる

蛙の子は蛙(終わり)





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