A Buddhist priest and Halloween


ハロウィンはそもそもヨーロッパでの民族の行事、それがキリスト教徒にも広まり、

今ある形になったとか。


10月31日は、死者や魔女、聖霊が、家々を尋ねて来る日で、それらから身を守るため、

魔よけの仮面を被ったり、焚き火をしたことが原点だ。


それが、焚き火はかぼちゃを切り抜いて中に蝋燭を灯した「ジャック・オー・ランタン」に、

家々を訪ねてくるのは、

トリック オア トリートと言いながら、お化けや魔女に仮装した子どもたちに変わった。


日本でハロウィンと似た日は、お盆が当たるだろう。

お盆と言われる日は今では新暦の8月15日を指すのが一般的だが、

旧暦の7月15日を採用している地方も少数ながらある。

(明治に新暦を採用する前は、旧暦の7月15日がお盆の日であった)


お盆は、死者の霊が家を訪ねて来る日である。

ただし、その死者の霊が、家々に縁のある祖先であること、

そしてその祖先の霊を敬い、迎え入れることが、ハロウィンと大いに違う点である。



そして、その10月31日。

わたしは、いつもの通り、バイクに乗り、檀家参りをしていた。

僧侶の勤めは檀家の家々をお参りするために、きっちりと日程が組まれている。

ハロウィンは、遠い国の行事に思われたが・・・。




「トリック オア トリート」


檀家参りに訪問した家でわたしを出迎えてきた、5−6歳の女の子。

わたしの顔を見るなり、何度も「トリック オア トリート」を繰り返して言う。


「ほら、仮装してるなら言わなきゃでしょ、トリック オア トリート。

だめじゃない、おじさん」


「これ、何を言っているの」と、女の子のお母さんのたしなめる声がする。


(仮装ではなく仕事着なのだけれどな)


普段は子どもに怖がられること多い。

その顔が仮装の一環とみなされてるのだろか。

少々複雑。


などと思いながらも、女の子に合わせて言ってみる。


「トリック オア トリート」


女の子は途端に満面に笑みを浮かべた。

わたしに飴を差し出した。


「トリック オア トリート、ほら、おじさんも」


わたしは苦笑しながら、個包装してあるクッキーを取り出し手渡した。


**************


「ただいま」

わたしは寺に帰った。

玄関まで出迎えにきたのは、妻の貴子と、


「おとうしゃん、トリック オア トリート」

「ト二ッ オア トニーオ」


と口々に言っているのは、

わたしたちた夫婦に授かった二人の子ども、長女の奈保子と長男の善弘だ。


わたしは子どもたちにクッキーを渡した。

「わーい、ありがとう」と言いながら、さっそく袋を開けクッキーを頬張る子どもたち。



「貴ちゃん、クッキー、持っていて正解だった」

「子どもって楽しいと思えるイベント、しっかり覚えているものね、

お菓子つきだとなおさら」

と言いながら貴子はわたしに微笑んだ。

二児の母となっても、出会ったときと変わらず可憐な彼女、

その笑顔にわたしは癒される。


ハロウィンと寺には接点はない。

仏教の教えにも、もちろんない。

わたしのところは違うが他の寺で、

その寺が経営する幼稚園でハロウィンのイベントをしていると聞く。

行事として受け入れたのは日本人特有のあいまいさ由縁か。

自由をスパイスに、他文化を取り入れ、

自分のものとしてその在り方を変容、消化していくのが日本の特性。

ただ、その根底にあるものは変わらないとは思うが。


人を思う、大事に思う心。

慈愛、慈しみ。




「トリック オア トリート」

「あら、正ちゃんもお菓子が欲しいの?」


彼女がくすくす笑い出した。

「うん、そうだね?」

わたしは彼女に素早く近寄る。


「お菓子というよりも、いたずら?」

そう言うなり、彼女に口付けをした。




所変われば品変わる。

すずめ百まで踊り忘れず。





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