Stille Nacht

『仕事、予定通り終わった。20分後に着くから。』

クリスマス・イブの日。

わたしはさっき着いたばかりの、篤志さんからのメールを確認した。

わたしが下畑さんのことを篤志さんと呼ぶようになってから、だいぶ経った。

初めは篤志さんと呼びなれなかったけれど、今では自然と言えるようになっていた。

洗面所の鏡を覗き、唇に引いたローズピンクの口紅を確認する。

鏡に映るうっすらと化粧をしたわたしの顔。

少しでも女として見えるだろうか。



やがてインターホンの音がした。

わたしは、胸に大きなリボンのついた濃藍色のワンピースの上に、

黒のロングコートを羽織り、急いで玄関へ行く。


ドアを開けると篤志さんが立っていた。

会社帰りの篤志さんはグレーのスーツ姿。

「お待たせ、風花。」

わたしが「篤志さん」と呼び方を変えたのに合わせて、

篤志さんもわたしのことを「風花」と呼ぶようになっていた。

目を細めながら篤志さんの冷えた手がわたしの手を取った。

そして車へとエスコートする。


篤志さんのわたしに対する態度はいつもより増して壊れ物を扱うように丁寧だ。

まるで執事に傅かれているお嬢さまみたいな。

そう篤志さんにそう言ってみると、

「今日は特別な日だからね。」と、笑いながらも熱を持った瞳でわたしを見る。


そう、今日は「特別な日。」


イブの日が金曜日ということもあり、篤志さんと初めて外泊することになっている。



車は市内にあるRホテルに向かって走った。

Rホテルは格式のあるホテル。

そこの最上階のレストランは、クリスマスをすごす恋人たちに人気のあるスポットだ。

わたしたちはそこでフレンチのコース料理を戴く。


キャンドルの灯った店内の淡い光と、窓から見えるさまざまに煌く夜景の光。

クロスを敷いた丸いテーブルにはわたしたちと同じように、クリスマスを祝う恋人たちがいた。

篤志さんとはいつもはもっと砕けた感じのお店に行く。

和菓子屋さんに梯子っていうのもよくある。

こうした格式ばった店で、向かい合ってフレンチのコースを味わっているだけでも、

今日が「特別」なんだと改めて思え、恥ずかしくなる。

デザートを終えしばらくしてから、篤志さんが「そろそろ行こうか。」とわたしを促す。

わたしはこくんと頷いて席を立ち、篤志さんの後ろを付いていく。


エレベーターに乗り目的の階数を篤志さんが押す。

エレベーター内には先客がいたので、わたしたちは無言でいた。

けれど、手は繋いだまま。繋いだ手から熱が伝わり、胸が震える。


篤志さんと二人きりですごすクリスマス。

昨年のクリスマスはお兄ちゃんも一緒だった。

急ぎのお仕事の手伝いをさせられていた。

篤志さんとは、それからお団子屋さんとか一緒に食べに行くようになった。

わたしの心にあったわだかまり、越智くんのこととか絵のこととか聞いてもらった。

それと共に、篤志さんと触れ合う距離がぐんと近くなった。

今では心の中の大多数が篤志さんのことで占められている。

逆にお兄ちゃんとの距離、家族との距離は離れ薄くなっている。


わたしはお兄ちゃんの今日の予定を知らない。

お兄ちゃんもたぶんわたしの予定なんて知らないと思う。

こうして兄妹って線を引いていくのかな。

寂しくないといえば嘘になるけど・・・。


そして今日、わたしは篤志さんに抱かれる。


目的の階数に付きエレベーターが開いた。

篤志さんはわたしと手をつないだままで、客室の廊下を進んでいく。

廊下を三分の二ほど進んだところで篤志さんの足が止まった。

「ここだ。」と、

篤志さんは上着のポケットから鍵を取り出しドアを開ける。

暗い室内の中、電灯のスイッチを探す。

わたしはそんな篤志さんの背中を目で追っていた。

吸い寄せられるように体を傾け背中につけた。

「・・・風花?」

低く唸るような篤志さんの声がした。


硬くて広い男の人の背中。

柑橘系の香りがする。

こうしてくっついているだけで、すごく安心する。

恋仲の男女を指す言葉として妹と対になる背。

古の人は、恋しい男性を背と呼ぶことが妙に納得できた。


愛しくて、愛しくてたまらない。


「・・・大好きです、篤志さん。」

背中に体をつけたまま、彼に告げる。


篤志さんが身をよじり体の向きを変えた。

わたしに両腕を回し抱きしめ、唇の雨を顔中に注ぐ。



遺居而 戀管不有者 追及武 道之阿廻尓 標結吾勢


後(おく)れ居(ゐ)て、恋ひつつあらずは、追ひ及(し)かむ、

道の隈廻(くまみ)に、標(しめ)結(ゆ)へ我が背



後に一人残されあなたを想っているよりも、あなたの後を追いかけていきます。

だから行く先の道に標しをつけていってください、わたしの愛しいあなた。



わたしはこれを詠んだ但馬皇女のような、許されない恋をしている訳ではない。

けれど、今ひと時、この身にあなたの標しを刻みつけて。


愛しい我が背の君。 (終)





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