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バレンタインは暮れて


油絵の具はつくづく面白いと思う。

パレットに混ぜた絵の具をキャンバスに置いた時はもちろん、

乾ききっていない絵の具の上に全然違種類の絵の具を置きそれが混ざった時、

想像しなかった色が出たり。


わたしが3月に部展に出すのは、夕暮れの下にある町の光景。

どこにでもある風景だと思う。

部室の窓から暮れていく空を見つめ、またキャンバスに色を置く。

色を置くたび微妙に色が変わっていくキャンパスよりも、

外の光景の色の変化は捕らえようがないなといつも思う。

そもそも自然の色自体をキャンバスの中で表すことなど無謀なことだろうけれど、

それでも描かずにはいられなかった。


そろそろ空も暗くなってきた。

片付けにはいろうか。

ジンクホワイトがずい分減ったし画材屋行って補充してこようかな。


ふと1枚の描きかけの絵に目をとめる。

新緑がまぶしい公園の情景。深月先輩の描いた絵だ。

揺らいでいるような筆使いで置かれた色がとても優しい。

引き込まれる絵だと思う。

この景色は深月先輩にとって思い入れのある場所なんだろうな。



わたしは学校帰り、市内の行きつけの画材屋による。

地下街を歩くとバレンタインのチョコを積んだワゴンが目につく。

なんとなく近寄り眺めてみる。

ラッピングされた箱はカラフルでかわいいし、

見本のチョコでもいろんなものがあって見ているだけで楽しめる。

チョコっていえば人にあげたことってなかったな、これまで。


バレンタインの日は、母が兄の分とわたしの分のチョコをいつも用意してくれた。

だからわたしにとってはチョコレートをもらえる日。

でも後で、女の子から男の子にチョコを上げる日であって、

女の子はもらう日ではないことをすぐに知ったけれど・・・。


その母からもやがてはチョコをもらえなくなった。

あれは確か兄が中3の時に女の子から初めてチョコをもらったあたりだったかな?

当時小5のわたしはその時にはチョコの意味がわかってたし、

もらえなくなったことにも納得した。


ふと下畑さんの顔が浮かぶ。

そういえば前に画材屋行ったとき偶然会ったんだよね。

下畑さんもバレンタイン、会社の女の人からたくさんもらうんだろうな。

兄も結構もらってたものね。

義理だって言ってはいたけど。

でも中には本命として贈る人もいたりして。

ううん、彼女がいて愛情たっぷりのチョコもらったりなんかして。

考えればわたし、下畑さんのことをよくは知らない。

この間、お団子が好きとか、乗ってる車とか、一人っ子だって知ったくらいで、

どこに住んでいるのかとか、メルアドも何も知らない。



家に帰り夕飯を食べた後で、

「ただいま、大福もらったよ。」と玄関の方から兄の声がした。

兄が仕事から帰って来たようだ。

時間はもう9時すぎ、仕事は相変わらずハードそう。

母は兄から大福の包みを受け取ると、

兄の夕飯と一緒にさっそくテーブルの上に広げられた。

わたしは見るなり思わず口が緩んでしまう。

「相変わらず、色気より食い気だよな、風花は。」

あきれて兄は言う。

「これ、下畑さんが得意先から帰社した時にもらった大福、名店らしいぜ。」

「へえ、そうなんだ。」

大福を手に取り一口かぶりつく。

柔らかいお餅の皮に包まれた粒あんが、ほどよくて上品な甘さだ。

こんなおいしいものくれるなんて、下畑さん太っ腹。

大福を味わって食べていると、ふとわたしを見ている兄の目と目があった。


「何?」

「風花。お前次の日曜日って何も予定ないよな。」

「うん、あ、また画材屋行くかもだけど?」

「・・・そうか・・・。」

兄はふうと大きなため息をした。

変なおにいちゃん。

日曜日って14日、バレンタインの日だ。

何かあるのだろうか。

でも、それきり兄は黙ってしまった。



わたしはそれからも絵を描くために家を出るくらいで、

14日の日曜日はあっという間に来た。

本番のバレンタインではあるけれど、

兄は休みに入る前の金曜日にチョコをいくつか持って帰ってきていた。


「風花、あのさ今日は、一緒に出かけない?」

「うん? いいけど、おにいちゃんめずらしいよね。」

「ああ、まあ、たまにはいいだろう? 

お前の好きな団子ごちそうしてやるから。」

「いいの? あ、もしかして前に部屋に勝手入ったことのお詫びのつもり?」

「まあ、そんなところ・・・。」

わたしは団子という言葉に、にやけてしまった。

ほんと兄と出かけることって近頃になかったことだ。

兄の言うとおり、妹に対する日ごろの行いに罪悪感を感じての行動だろうか?

一緒におでかけも悪くない。

でも何か魂胆がありそう思ってしまうあたりが信用ないけど、おにいちゃん。

そう思いながらも兄と電車に乗り込み市内へと向かう。



目的の駅に降りると、

下畑さんと22−3歳くらいの知らない女性が待ち受けていた。

「風花ちゃん、こんにちは。」

下畑さんはわたしの顔を覗き込んで言った。

隣の女性は下畑さんの彼女だろうか?

しかしその疑問はすぐに解けた。

兄がその女性に会釈すると並んで歩き出したからだ。

うわあ、もしかしなくてもお兄ちゃんの彼女!

わたしはついつい兄たちを観察してしまう。

なんだか二人ともぎこちない感じ。

付き合い始めというものだろうか。

兄がはにかんでいる。

なんだか、見ているこっちも照れる。

「風花ちゃん、顔赤いよ。」

「ちょ、ちょっとびっくりしちゃって。」

兄の方を見ながら言うと、くすくすいと下畑さんが笑いだした。

「彼女はぼくの従兄弟で、お互い意識してるようなのになんかぎこちない感じでね。

だから風花ちゃん、お団子食べたらお兄さんたち二人きりにさせるよう、一緒に出ない?」

「うんうん、分った。」


その後4人で入った和菓子屋さん、

どきどきしてしまってお団子をじっくり味わっていられなかった。

兄と一緒の席に並んでる下畑さんの従兄弟さん。

言われてみればちょっと下畑さんに似たところあるかも。

やや下がり気味の優しげな目とか。

すっと通った鼻筋とか。

きれいな人だ。

兄にはもったいないなんて言ったら怒られちゃうかな?


下畑さんがトイレに行くというのを合図にわたしもを席を立った。

そのまま店の外へ。

先に出ていた下畑さんと一緒にお店を後にした。

ああ、こうして脱出ってなんだか面白い。

ちょっとした謀した気分だ。


「お兄ちゃんたちうまく行くといいよね。」と下畑さんに声をかけると、

「そうだね。」と下畑さんも笑い返してくれた。


兄に彼女。

チョコは何度かもらってきたことあったけれど、

これまで彼女がいるような気配はしなかった。

ただ、今までわたしが知らないだけ付き合っていたのかもだけれど。

よかったなと思う反面、ほんのちょっぴり寂しい。

わたしの知らない兄がいる。

兄が遠くに行ってしまったようで。

でも、おにいちゃん、幸せにならなくちゃね。


それから下畑さんとお話したり、

ショップのウィンドウを眺めたりしながら歩いていた。

あれ? これもなんかデートみたい?


そうしているうちに外はうっすらと暗くなってきた。

夕ご飯前に帰ろうとするわたしを

「何かあったら風花ちゃんのお兄さんに怒られるから」

と下畑さんは家の近くまで送ってくれた。

家の前に着いた時にはあたりはすっかり暗くなっていた。


「今日はほんと楽しかったです。」

そういって頭を下げるわたしを下畑さんがじっと見ている。

「風花ちゃん、両手を出して、上に向けて手のひらを開けてみて。」

言われるままに手のひらを広げていると、下畑さんは自分のセカンドバッグを開けた。

「はい、ぼくからさしずめ、兄チョコってところ?」

手のひらにかわいらしくラッピングされた箱を載せた。

「あ、ありがとうございます。」

思ってもみなかったことに声が上ずる。

「・・・ごめんなさい、わたしチョコも何も用意してない。」

「いいよ、そんなの。あ、だったら来年の分、予約したからね。」

「来年ですね、分りました。」

頷くわたしを見て、下畑さんが苦笑する。

「これも、渡しておくね。お団子また食べに行こう。」

携帯番号とメルアドの書いたメモを渡す。

わたしはぼんやりそのメモを眺めていたけれど、

突然、体全身火がついたように熱くなった。

下畑さんの言う「来年の分」の言葉の意味に考え当たったから。

それって「彼女としてください」っていう意味だろうか?

ううん、考えすぎ、考えすぎだから・・・。


わたしはうつむきながらおずおず切り出す。

「来月、サークルで部展があるんです。

下畑さんよかったら見に来ませんか?

 1週間やってるんでお暇なときにでも。

あ、無理にとは言いませんから。」

わたしのほほを下畑さんの大きなひんやりした手のひらが触れてきた。

「行くよ、楽しみにしているから。」と言ってふっと笑う。

そして手のひらを離すと「またね、風花ちゃん。」と言いながら去っていった。



家に戻ると兄はすでに帰っていた。

兄は「お帰り、風花」と言ったきり何も言わない。

わたしも「ただいま」と言うとすぐに自室へ向かった。

夕飯で顔を合わせても兄はことさら今日のことは言わなかった。

わたしも兄にもあの後、彼女とどう過ごしたのかとか聞けなかった。

黙ったままの兄を見てふっと思った。

今日のことは兄と彼女のためというよりも、

わたしと下畑さんのためのものだったのかもと。

食事が済み自室に再び戻ろうとしたとき、

兄はわたしに近づき、ぽんぽんと頭を撫でてきた。 (終)



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