卒業〜ホワイトデー〜そして、試験に赴く君へ(3) 「ちー。」 ぼくはドア越しに声をかける。 ちーからの返事はない。 いつもの居眠りか? だとしたらちー、少しは心にゆとりを持っているのかも。 ぼくはゆっくりノブを回した。 ちーは眠ってはいなかった。 机に向かい制服を持って縫っている。 ぼくはドア近くに持っていたかばんを置いてから、再び声をかけた。 ちーの肩がびくっと動く。 「痛っ。」 同時にちーの悲痛な声がした。 ぼくはあわててちーの側に行った。 「指、出して。」 ちーは躊躇することなく、ぼくの前に左手を出した。 ぼくはすぐにその手を取った。 人差し指の爪の近くの腹に赤い血の点をみつけた。 ぼくが不用意に声を掛けたせいで、ちーの指を傷つけてしまった。 試験前の不安を少しでも和らげようと思っていたのに、 正反対なことをしてしまった。 すごく痛いだろうに。 「・・・ごめん、声をかけたから。」 血の点はじんわりと滲み膨らんでいく。 指先には末梢神経が集中している。 ぼくはその点に吸い寄せられるように顔を近づける。 桜色した丸くて柔らかな指先ごと口に含んでしまいたい衝動にかられた。 はっとして我にかえる。 何をしようとしているのしているのだ、ぼくは。 怪我した部分を唾液で消毒することは医学的にも根拠のある手立てだけれど、 中3の女の子に対してすることではない。 しかも唾をつけてではなくて口の中に含もうとしただなんて、 「消毒だから」と言い訳すらできない行為だ。 でもちーの指は魅惑的で。 桜色した丸くて小さな指、柔らかく肌理の細かい肌、 そこにぽつんとある赤い点が誘いかけてくる。 ちーの手を持つぼくの手が震えてきた。 このままではいけない。 ちーにぼくの心の中に潜む邪な感情を悟られてしまう。 「・・・深くは刺していなさそうだけれど、手当ておこうね。」 ちーを連れて部屋を出て階段を降り、洗面所に向かう。 どうやらちーにはぼくの手の震えを気に留めていないようだ。 目的の洗面所に行くと、水を出した。 手を添えてそのまま流れる水に指先を持って行く。 ひんやりした冷たい水がぼくの心を落ち着かせてくれた。 ぼくは水道を止めるとちーの手をハンカチで拭いた。 そして絆創膏を巻いてあげた。 「・・・浩にい、ありがとう。」 「ううん、ぼくこそ、驚かせて悪かった。痛かっただろう?」 「痛かったのは刺した時だけ、今は痛くないから。全然平気。」 ちーはぼくに安心感を持たせたかったのだろう。 ガラス細工のように煌く澄んだ瞳がぼくを見つめる。 ぼくはその瞳に囚われそうになる。 再び邪な思いに、心を持っていかれそうになった。 自分の「優しいお近所の兄さん」の立ち位置を思い出し、 湧いて来た邪な思いを押し込め、ちーの頭を撫でた。 ごめんね、ちー。 こんな後ろ暗い気持ちを持ってしまって、ほんとにごめん。 だけれどちーを誰よりも大事に思っている。 (続く) |