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義姉(2)


、2、
「親父に話がある。」

俺は夕飯が終わった後、親父を自分の部屋に呼んだ。

親父は初め驚いた顔をしたが、すぐに後を付いて来た。


部屋に入った親父はものめずらしげに辺りを見回わしている。

そういえば親父が俺の部屋に来るのは久々なんだと思い当たった。


そんなに変わっていないと思う。

俺がこの部屋に移り住んだ時と比べて。


母と親父が籍を入れた後、俺は母とこれまで住んでいたマンションを出て、

親父の住んでいた一戸建ての家に移った。

そして階段を上がって奥側の部屋をあてがわれた。


そういえば、この家もずいぶんと古くなった。


部屋を眺める親父の髪も、このところ目立って白髪が増えた。

親父は50歳すぎたところだったかな?

まあ、毛が薄くなっていない分、まだまだ若く見えるけれど。


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深月たちと顔合わせした日からまもまく、

母と親父は籍を入れた。


俺は深月の義弟になった。

義弟といえども、即、仲良しという訳ではなく、

俺は変わらず冷めた目で新しい家族を見ていた。


親父はもちろん今よりもずっと若くて、体系もすっきりとしていた。

深月は落ち着いた雰囲気で、中学生というより年上に見えた。

むしろ4回生の今の方が幼く感じるかも。


深月も、俺と似たように、親が再婚する前は、父一人、子一人で生活していた。

しかし考え方には決定的な違いがあった。


すべてに冷め、あきらめることを前提に考える俺。

対して、冷静に見られがちだけれど内情は熱く、あきらめない深月。


なぜ情熱を傾けることができる?

そしてあきらめないんだ?


俺は深月が不思議でならなかった。



深月が「あきらめない」理由を、俺はやがて理解する。


深月は小学校にあがる前に、実母を病気で亡くしていた。

それからの父と子の二人暮し。


ただ彼女には、俺が抱えていた思い、

親に置いていかれたとか、捨てられてしまったとかいう喪失感はない。


代わりにあるのは病気であった実母との優しい思い出。


人が亡くなると、その人の良い思い出しか残らないそうだ。

深月もそうだった。


いくらいい人だったと言っても、悪い面もあるはずだ、人ならば。

この世にいっさいの善人などない。

いっさいの悪人も、もちろんいないと思う。


「死」はその人の悪い部分を忘れさせるよう。


深月の中にあるのは、実母に対する、愛し愛されていたという純粋な思いだった。


実父のことを母にすら聞けなかった俺とはそこが違った。



深月が羨ましい?


ううん、俺は羨んではいない。

むしろ哀れんでいた。


人は裏切る。

そこに意思があってもなくても。

人に対し、「あきらめる」ことを知らない深月が裏切られたとき、

彼女の心に生じるであろう傷は俺よりも遥かに深いはずだ。


人にあきらめろ。

早く、あきらめることを知れ!


俺は何度も思った。



マンションから深月の家に住むようになると、

学区が違うからと、通っている小学校も変わった。


転校生、そして何事にも「あきらめた」俺という存在は、

当然クラスから浮いた。


浮いていても俺は気にも止めなかった。

なにしろ、あきらめているのだから。


でも同級生たちはそうは思わなかったようだ。


ささいなことがきっかけで、俺は諍いを起こしてしまった。

確か、俺に回ってきた給食当番のことがきっかけだ。


俺の前にいた学校では給食当番の仕事は、給食を教室に持っていって配り、

昼食が終わった後は使用済みの食器とかなべを給食室に運ぶ。

それで当番は終わりだった。


けれど、転校してきた小学校は違った。

給食室に運んだ使用済みの食器の洗いも、お手伝いすることになっていたそうだ。


俺は前の小学校の時の調子で、食器を給食室に運ぶとそのまま教室に戻った。


その後、「当番をさぼった」と帰ってきた他の給食当番にあたった奴になじられた。


当然、俺はさぼった意識はなかった。

この小学校での「きまり事」を知らなかったのだから。


俺は同級生たちから言われる文句を淡々と聞いていた。

言い訳をするどころか表情も変えない俺に、どんどん怒りが増したよう。


俺をなじる奴が増えてきて、しまいにはクラスの人間のほとんどから、

悪意のある視線を向けられていた。


浮いていた俺は完全に孤立した。

同級生たちは完全無視を決め込む。

ひそひそ話はたいてい俺の悪口。


別にかまわないと思った。

俺は何よりも「あきらめていた」から。


だが、その頃から体は変調をきたしていた。

学校へ行く時間になると腹痛がした。

回復を待って登校するので、遅刻することが増えていった。

また無事登校できても途中、腹痛に襲われ、早退することもあった。


俺は心配された。

病院に連れられる。

自律神経失調症という、ごたいそうな病名を言われた。



病院に通っても体調はなかなか良くならなかった。


母も、親父もどう対処していいか迷っていたみたい。

俺とこれまで以上にスキンシップをしたがる。


母はパートを止め、家にいるようになった。


親父は俺とお風呂に入るようになった。

これまで一人で入っていたお風呂。

とても戸惑う。

親父と別段話しすることなどなかったし。

ただ親父が心配しているのはよく分かっていた。

だから、言われるまま一緒に入った。


深月は、俺の気分がいい時に、いっしょにゲームをして遊んだ。

ゲームに飽きると、絵のモデルをさせられた。

させられたというより、くつろいでいるところを、勝手に描かれただけだけれど。

でも、これは俺が病気になったから始まったことじゃなく、

一緒に生活し始めてからも変わらない光景。


ちらりと覗き見したときの、深月の絵は下手だった。

線はへろへろ、指なんてバナナの皮みたい。

けれど、どこか暖かく、安らいだ気持ちになる絵。




夜は俺にとって一番の苦痛だった。


目を閉じても眠れない。

頭は冴えたまま。


次々と、前にあった出来事が頭に中に浮かんでは消える。


罵倒したりあざ笑う同級生。

何も分かっていないのに訳したり顔で注意する先生。


その先生がやがて実父にとって変わる。


背中を向け、俺の視界から遠ざかっていく父。

ああ、家を出て行くときの情景だ。


俺は目を開けた。

頭がずしんと重い。


部屋を出てから閉じたドアの前に座った。

暗がりの中、階段の方をぼんやり見つめる。


そうしているうちに深月の部屋の扉が開く。

「聡くん? また、眠れないの?」

そう言いながら、深月が近づいてくる。


俺の目が熱くなってきた。

泣きそうになっていた。


これは夜中一人、暗がりの中座っていたせい。

眠たいのに眠れない。

だから脳が混乱して勝手に涙を流すよう命令を出している。



ううん、そうじゃない。


何事にも「あきらめていた」俺。

でも、ほんとうは「あきらめ」なんてしたくなかった。


同級生たちとも仲良くなりたかった。

実父と別れたくなかった。

置き去りになどされたくなかった。


なんで?

なんで?


あがいて、もがいて、無茶苦茶になっても抵抗したかった。


ああ、俺のほんとう姿は「あきらめの悪い」奴。

押し込め上書きして、忘れていたはずの感情だったのに。


堰を切るように涙が勝手にこぼれてきた。


深月が俺の前に座る。


頭の後ろに手を伸ばすと、そのまま胸に抱きしめてきた。

俺は嗚咽を殺し、彼女の胸の中で息を潜めて泣いた。 (続く)



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