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バレンタインはゆっくり進もう


甘いカカオの匂いがキッチンに充満している。

姉はバレンタインのためにチョコレート作りに励んでいるからだ。

作っているのはトリュフチョコレート。

だけど作ってるのは姉だけではなくわたしも一緒だ。

姉に任せていたらとんでもないことになるし。


「春美ちゃん、手際いいわ。」

姉は湯煎していた手を止め、

トリュフの中心になるガナッシュ作りをしていたわたしの作業を覗き込む。

「おねえちゃん、チョコまずくなるから、ちゃんと見てしっかり混ぜて。」

「はいはい、分ってるってば。」

姉は再び自分の作業に入る。

ほんとに分ってるんかいな。


ぎゃあぎゃあ姉と言い合いながら作業していると、

母がわたしの隣に来て泡だて器でクリーム状になったガナッシュに人差し指を突っ込んだ。

掬い上げるとぺろりと舐める。

「おかあさん、何してるん!」

「もちろん味見、とってもおいしいわ、えへっ、もう1回。」

「ちゃんと家の分のもあるから、やめて!」

わたしはガナッシュの入ったボールを母の前から奪い取り抱え込む。

はあ、ほんま疲れる。


どうにかこうにかトリュフチョコが出来上がった。

わたしたちそのうちの幾つかを取るとラッピングをし始める。

姉は彼に、わたしは辻本くんに渡すために。


辻本くんには、クリスマスの時のピアスのお礼もあるし。

でもなんだかどきどきする。

これまでチョコなんて渡したことなかったから。

友チョコっていうのがあるから、これは友チョコよね、うん。

ピンクの半透明の包装紙の中にラップでやんわりくるんだチョコを、

巾着型にラッピングしてリボンを結ぶ。

テーブルの上に置きしばらく眺めていた。

辻本くん、ちゃんと受け取ってくれるやろか・・・。



14日の日曜日、自転車で辻本くんの家へと向かう。

家へ行くのも久しぶりだ。

辻本くんがわたしのところへは、おばさんのお使いなんかでよく来るけれど、

わたしからはめったとないし。

狭い生活道路を何度か曲がり自転車を走らせる。

角に面した塀を曲がり、あと数メートルで辻本くんの家に着くところで、

はっとして自転車を止めた。

辻本くんの家の前に人がいる。目を凝らせて見てみる。

辻本くんのお兄さんと女の人だ。

遠方の大学に行っていたお兄さん、長期休みだからこっちに帰って来てたんだ。

女の人はチョコレート渡しに来たんだろうか。

でもちょっと様子がおかしい。

お兄さんは背を向けているから表情とか分らないのだけれど、

女の人は泣いているみたい。

もしかしなくても修羅場?

とんでもないときに来たのかも。

考えていると不意に後ろから腕を取られた。


「ひっ!」

「しっ、大きな声出すなよ。」

「あ、辻本くん。」

見ると困惑した顔の辻本くんがいた。

辻本くんはちらりと自分の家の玄関の方に目を走らせる。

「まだやってる。もう2―30分ほどたってるのに。何やってるんだか兄貴は。」

ふうとため息をつく。

わたしに手招きしながら角の塀に隠れて、また玄関の方を見やる。

わたしもマネをして塀から覗き見る。

女の人はまだ泣いていたけれど笑顔に変わっていた。

修羅場が一転いい雰囲気に変わっている。

ほっとしていると、お兄さんは女の人を手を取り引き寄せた。

そして顔を近づけ、キ、キ、キス?!

わたしは恥ずかしさでまともに見れず顔を伏せた。


「・・・二人家の中に入ったけど、行く?」

「・・・家は遠慮するわ。」

「・・・だよな。じゃあ公園で話す?」

「・・・そだね。」


わたしの家と辻本くんの家のちょうど中間の位置にある児童公園まで、

自転車を引いて歩いていく。

日曜日のお昼2時をすぎていた。

けれど2月の寒さのせいだろうか。

公園で遊んでいる子どもは少なかった。

公園入り口に自転車を止め、日が良く当たっているベンチを捜して座る。

「ちょっと待って」と言い置いてから、

辻本くんは公園の中に備えられた自動販売機に走る。

それから缶コーヒーを持ってわたしが座ってるベンチに来た。

隣に座るとプルトップを開け缶コーヒーを「飲む?」と私に渡す。

「いいの? ありがとう。」

コーヒーの缶はまだ熱い。

両手で缶をくるむように持ちわたしはコーヒーを飲んだ。

「俺も」と、辻本くんはわたしの持つ缶コーヒーを取った。

缶に口をつけ中身を飲むと、またわたしに返す。

缶の熱が移ったようになんだか顔が熱くなる。

辻本くんと1つの缶コーヒーを分けて飲むのは、

今にはじまったことではないけれど、

さっきのお兄さんのラブシーンを見た後だけに変に意識してしまう。


「俺に用なんだろ、何?」

「あ、ええとね。」

わたしは缶をベンチに置き、肩にかけていたかばんからチョコを取り出した。

「今日、バレンタインだし、クリスマスの時のお礼も兼ねてやから。」

「手作りやん、ありがとうな、棚瀬。」

辻本くんは目じりを下げ、今まで見たこともないうれしそうな顔をした。

「初めてだよな、棚瀬からのチョコ。」

「うん、お姉ちゃんと一緒に作ったん。クリスマスの二の舞はごめんやし。」

「棚瀬のところの家族ほんと濃いよな。」

くくくっと辻本くんは笑った。


「・・・しかし驚いたよな兄貴には。まあ、雨降って地固まるってところかな。」

「うんうん。」

わたしは再び缶コーヒーを取り、口につける。

「なあ、棚瀬。」

辻本くんが真顔になった。

「お前、キスってしたことある?」

「ぶっ。」

わたしは持っていた缶を落としそうになった。

「いきなり何言い出す?」

「・・・俺、まじめに聞いてるんやけど。」

辻本くんの気配が変わる。

なんだか顔の距離が近づいているような。

「ある! あったわ!」

わたしは身を引いて思わず叫んでしまった。

「えっ?」

辻本くんが瞬時に怪訝そうな顔をした。

「おかあさん、おかあさんよ、キスの相手。

ああ、思い出すだけでむかつくわ。

七五三の時よ。

着物姿のわたしが「かわいい」とか言ってきて、

いきなりちゅって、わたしのファーストキスが・・・。」

辻本くんはあっけにとられたみたいで目を丸くした。

そしてまたくくくっと笑い出す。

「・・・棚瀬のおかあさんらしいよな。」

ひとしきり笑った後、辻本くんは「あーあ」とうなだれ深くため息をついた。


「ねね、チョコ食べよ。」

わたしはそんな様子の辻本くんの背中をつついた。

「そだな、食べるか。改めてさんきゅな、棚瀬。」

辻本くんはそういうと、ラッピングを開いてトリュフのチョコを摘む。


ごめんね、辻本くん。はぐらかしちゃった。

キスされそうな気がして無性に恥ずかしかったし。

わたしにはまだ「友だち」の距離の方が安心する。

こうして笑い合って話しするのは楽しい。

でも、わたしが辻本くんのことを、どう考えているのか、

ちゃんと言わなきゃとも思っている。


「・・・辻本くん、わたしら付き合い長いよね。」

「そうだよな、小学校からやもんな。」

「あ、あのね、わたし辻本くんのこと名前で呼んでもいい?」

辻本くんはまじめな顔になるとじっとわたしを見た。

それからすぐに口元を緩ませ言った。

「いいぜ、春美。」

「よろしく、哲哉。」

初めて呼んだ名前、呼ばれた名前はくすぐったかった。

哲哉もそうだったのかな。

わたしたちはお互い顔を見合わせると、くすくす笑い合った。 (終)



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