登校 高校に入ってから、5月半ば。 それなりに生活のリズムも掴めてきたと思う。 朝は6時起き。 学校は電車通学。 家を出てから学校に着くまで、約1時間。 家を出る時間は中学校の時よりも、その分ずっと早かった。 登校する時間帯が違うと見える景色も違う。 数ヶ月前のスクールゾーンには中学生、小学生たちがあちこちに見られた。 今のこの時間帯は学生はほとんど会わない。 スーツを着た人がちらほら見られるくらい。 週3日だけだけれど、浩にいと一緒に登校するようになったことも、中学校ではなかったことだ。 1時間目(浩にいは1講目って言っているけれど)が必修らしく、家を出る時間がわたしと同じ。 中学へ行っていたときも、朝出る時間が一緒になることがあった。 でも、わたしが行く中学校と浩にいが行く駅の方角は逆。 玄関先で一言、二言、朝の挨拶をするだけで、そこからは別々になった。 それが週3日の頻度ではあるけれど家から乗り換えの駅まで、ずっと一緒。 浩にいと一緒に通える日だと思うだけで、早起きが苦にならないのが不思議だ。 浩にいと並んで歩く。 話すことはたわいもないこと。 中間試験のこととか、体育の先生が厳しいとか。 そんな話でも浩にいはにこにこしながら聞いてくれた。 そうしているうちに駅に着く。 ラッシュの時間よりもやや早いせいか、駅のホームは混んではいない。 でもそれなりに人はいる。 定時に来た電車の中は、座席は空いていないが混み合っている程ではない。 でも、この2−3駅先からどっと人が乗り込んでくる。 浩にいと一緒に電車に乗るときは、入り口と座席の作る角に立った。 一人で乗るときはその場所に行ってはいけない。 女性専用の車両、もしくは車両の中程に乗るよう言われている。 痴漢にあいやすい危険な場所だからとか。 けれど浩にいと一緒だと、そこが一番の安全地帯になる。 わたしと向かい合って立つ浩にいは、密集する車内から庇ってくれる。 それでも電車が大きく揺れてしまったときとか、入り口が開いて人が乗り降りするときとか、 浩にいの体に当たってくっついてしまう。 ぴたりと体がぴたりと密着するのは一瞬のこと。 でも、それがすごく長く感じられた。 「ごめん。」と小声で謝る浩にい。 離れる瞬間に、ふわりと柑橘系の香りがした。 動悸がなかなか治まらない。 きっと顔も赤いはず。 でも混んでる車内は冷房が入っていても利いてはいない。 わたしのように顔の赤い人はあちこちにいる。 だから浩にいは、赤い顔の本当の理由には気がつかないだろう。 気付いて欲しいのか、欲しくないのか、わたし自身よくわからない。 ただ、浩にいの側にずっといたい。 だからこそこの関係が壊れてしまうのがなによりも怖い。 そうしているうちに浩にいが乗り換える駅に電車は到達する。 浩にいは「いってきます。」と、わたしの肩にぽんぽんと軽く触れてから電車を降りる。 わたしはそのたびに寂しい気持ちになる。 乗車する人の波に合わせ、角から電車の中ほどの通路に移動する。 吊革を持ちながら、浩にいの姿を探す。 でも、混み合っている人たちに紛れて浩にいの姿は分からなかった。 それでもわたしは探した。 やがて電車のドアが閉まり、走りだした。 せめて浩にいの代わりにと、乗る予定の電車が止まるホームを車窓から消えるまで見つめた。 ******************************************************** ちーが高校に入学いてから、週に3回、一緒に学校へ向かう。 ちーには、どうしても外せない必修の講義が朝1番に3つあるからと、一緒になる理由を言った。 しかし、それはちーに不自然に思われないようにする表向きの理由。 朝1番の講義、ひとつは確かに外せない必修だったけれど、残りの2つは強引に時間を合わせた講義だ。 ちーとの朝の登校、どうしても一緒に行きたかったから。 本音は週に3日と言わず、毎日一緒に行きたい。 けれどさすがに毎日では不自然に思われてしまうだろう。 週3日はそのぎりぎりの妥協。 我ながらなんて姑息な男だと自嘲してしまう。 途中乗り換えの駅でちーと別れてしまうけれど、心休まる穏やかな時。 ちーはぼくにいろんな話をする。 話と一緒にくるくる変わるちーの表情。 ずっと見ていたくなる。 何気ない事も、ちーがいるだけで意味があるように思えるから不思議だ。 そうして歩くうちに駅に着いた。 ラッシュ時よりも早いせいかまだ混んではいないけれど、2−3駅過ぎた辺りで様相は変わる。 混んでいる車内はいつ乗っても慣れない。 今年から電車通学するちーにとっては、その苦痛、並みのことではないだろう。 女の子だから痴漢の心配もしなければならない。 女性専用の車両に乗ればその恐れはないのは分かっている。 けれど、ぼくと登校するときは一般の車両に乗っていた。 座席近くのドア付近の隅、痴漢に遭いやすいとされる。 でもそこは、閉じた場所。 車ちーをそこに行かせて、塞ぐように向かい合わせに立つ。 そうすれば、ぼく以外の他人は彼女に触れられない安全な場所になる。 一番触れやすい場所にいるぼくは、彼女にできるだけ体が当たらないよう注意する。 ただでさえ、満員の電車は不快感が先に立つ。 不審がらせてはいけない、怖がらせてはいけない。 けれど電車が揺れて、意図ぜずとも、ちーの体と密着する。 彼女から発する柔らかなラベンダーの香り。 たちまちに体が熱くなる。 その姿勢のまま、ずっと体をくっつけていたくなる。 それとともに罪悪感が押し寄せた。 ぼくはあらん限りの気力を出してその誘惑を押し込めた。 「ごめん。」と言って離れる。 ちーはぼくに触れた事を嫌がっていないだろうか。 ちらりと彼女を見る。 赤い頬が目に入った。 かわいい。 このまま閉じ込めてしまいたい。 その顔をぼく以外の誰にも見せたくない。 愛おしさと熱情が入り混じった気持ちに囚われる。 ちーの頬が赤いのは、ぼくを意識しているせい? と、自分に都合の良い考えが浮かぶ。 しかし周囲を見渡した時にその考えは消えた。 人が密集した車内は暑い。 あちこちで頬の赤い人は見られる。 ちーも暑さでのぼせてしまったのだ。 それでも、車内の不快感に耐えているちーを、かわいいと感じるぼく。 ぼくはほんとうにどうしようもない。 顔が崩れそうになるのをポーカーフェイスを装い耐える。 電車はやがて乗り換えの駅に着いた。 ぼくはちーの肩をぽんぽんと軽くはたいて「行ってきます。」と合図した。 人の波に合わさり電車を降りる。 ちーはちゃんと隅から移動しただろうか。 ぼくは振り返えってみる。 でも人の波がぼくの視線の先を阻んだ。 ちーは見えない。 人が埋まった電車があるだけ。 やがて、ちーを乗せた電車がゆっくり動いていく。 ぼくはそれを見送った。 電車が見えなくなってもいつまでも見ていたかった。 その気持ちを振り切り、目当てのホームへ急ぎ足で歩いた。 日常(千鶴中学生頃)
6畳の眠り姫 ラベンダーと眠り姫 手を繋いで、変わっていくもの変わらないもの 日常(千鶴高校生頃) 問題 日常番外(小学生頃) 貯金箱 お祭り 蝉 大掃除 おかえり、ただいま(前)(後) 思い出 トップへ |