思い煩うホワイトデー(4) わたしは越智君のことを下畑さんに話した。 まだ、言葉に出すほど気持ちに整理がついていないと思っていた。 でも、淡々とした口調で話せる自分に驚いてしまった。 下畑さんは黙ってわたしの話を聞いている。 越智君の描く絵が好きだった。 絵を描く姿勢が好きだった。 わたしにはない筆遣い、モチーフ、魅力、嫉妬を覚えるとともに憧れでもあった。 自覚なかったけれど、当時のわたしは絵と同じように彼を慕う気持ちもあったと思う。 「3年になって進路を決める時、わたしは美大を受ける準備のため専門学校に通いました。 越智君もそこに通っていました。 わたしの周り、先生もだけど両親、お兄ちゃんも、 わたしはこのまま美大を受けるだろうと思っていたようです。 でも、わたしは美大受験をやめました。 専門学校も途中で行かなくなりました。」 声がだんだん小さくなってきた。 核心に近づくにつれて口ごもりそうになる。 「わたし卑怯なんです。 肝心なところで絵から逃げてしまった。 絵に評価がつけれられ振り分けられる。 そのことが怖くなってしまったんです。 絵を描くことに引け目すら感じて。 中途半端なんです、何もかも。 絵が好きだから描く、そう思ってただけで、 芸術として常に評価されていくこと、その評価に耐える覚悟がわたしにはなかった。」 手をぐっと握り締め一息吐くと、勇気を奮い起こして言葉を続けた。 「でも越智君は違う。 彼は真摯に絵に向き合っていました。 描くことに対する覚悟みたいなものも感じられて。 越智君はそんなわたしの心を見抜いてたみたいで責められました。 半端な気持ちなら金輪際、絵を描くなと言われました。 それはそうですよね、 真剣に芸術として取り組んでいる彼にとっては許せなかったと思います。 大学も途中で進路変更したものだから、 試験もすぐに受かるわけではなく何度も落ちて、 やっと合格もらったところが今行ってる学校です。 結局絵もやめられなくて描いているし。」 「・・・風花ちゃん。」 下畑さんは道路の端に車を寄せ停車させた。 「ほんと、わたしのやってることって矛盾だらけ。 でも下畑さんは違います。 仕事もだけど何に対しても一生懸命でブレもなくて。 だから自信持ってくださいね。」 「ううん、ぼくも同じ、矛盾だらけだ。 今の仕事もすんなり選んだ訳ではないよ。 何社か受けてやっと内定もらって勤めるようになって。 今でこそ、そこそこ仕事をこなせるようになったけれど、入社当時は失敗もたくさんした。 順風満帆に行く人の方が圧倒的に少ないと思う。 風花ちゃんは後悔しているの? 今行ってる大学のこと。」 「最初はありました。でも今はないです。 講義聴いているうちに和歌が面白くなってきて。 新古今は言葉の技巧がすごいなって。 万葉は逆に素朴な感じで。」 「そうか、だったら良かった。 ・・・その越智君だけど、風花ちゃんを責めたのは絵を描くのが許せないとか、 そういう理由だけではないと思うよ。 今の彼はその時に言ったことを後悔しているんじゃないかな。」 「後悔?」 「・・・いや、なんでもない。 つらかったろう? よく話してくれたよね。」 下畑さんの手が伸びてきてわたしの頭を撫でる。 それが引き金になって、決壊したように涙が目からぽろぽろ落ちてきた。 下畑さんの顔が近づく。 頬に落ちた涙を掬うように下畑さんの唇が触れた。 涙は一向に収まらない。 何度も涙を受け止めていた下畑さんの唇が、わたしの唇に合わさってきた。 下畑さんはそれから何事もなかったような顔をして、わたしを家まで送ってくれた。 涙はすっかり乾いている。 わたしは去っていく下畑さんの車を、ぼんやりと見送っていた。 お兄ちゃんはまだ家に帰っていなかった。 わたしはお風呂に入った後、すぐに自分のベッドに横たわった。 (続く) |